母校のこと

本日の毎日新聞に、辛酸なめ子さんの我が母校に関する談話が出ていた。なんと、教育特集のところで…。要約すると、勉強しろと干渉されず、自由にやらせてくれた、ということである。まあ確かに、普通に生徒やっている分には、自由というか、ゆる〜い学校だったなぁ…。年に遅刻を52回してもまるで怒られず、寄り道もし放題(ロッテリアとかソフトクリーム屋とかカワイイもんですが)。高校時代は授業で寝てた記憶しかないし。精神的には非常に楽だったが、だるだるな生活態度はここで形成されたような気もする。
干渉しない、ということは、つまり「何もしない」ということだ。ジャスト5時にはさっさと生徒を追い出して門を閉めていたし、図書館の閉館はさらに早く、受験生のときもまるで使いものにならなかった。完全週休二日制なうえ、日曜は安息日だから部活も禁止。夏休みも八月は部活禁止だった。部活の試合にしても、公式戦は部として年間3つまでしか出てはいけなかった。つまり、生徒に対するサービスはめちゃめちゃ悪い。
ただ、そうすることで、生徒の自由時間を意図的に作り出し、自由時間に好きなことをさせるよう仕向けていたんじゃないかと思う。何をするかは、人と時期によってまるで異なる。私の場合はほとんどを小田急線の中で過ごし、大好きな海老名の街に着いたら、そこをくまなくうろうろし、あとは家でのんびりするか、仕方なく勉強するかだったけど。
部活に関して言えば、練習時間が少ないもんだから、当然強くなれるわけがない。それでも、強くなりたい人は自主的にテニススクールに行ったり、土日にコートとって家族と練習したりしていたし、実際、それでものすごく強くなっていた先輩もいた。「やりたいことをやれる環境を作る」ために、「学校としては干渉しない」ことを徹底していたのではないだろうか。
生徒を束縛しないということは、先生も束縛しないということだから、先生の労働環境もきっと「まっとう」なものだったんだろうと思う。なにが起きても大して怒らず、「あら、まあ」と流すあの優雅な態度は、余裕から生み出されたものなんだろう。なお、学校も社会だから、色々な人がいたということは言っておきたい。些細なことでガミガミ怒ったり、自分の立場を笠に着て従わせたりするヒステリック教師も、ごく一部にはいた。運悪くその人と因縁を結んでしまったので、多々苦労したが、いい社会勉強になったと、今は感謝している。きっと、私生活がうまくいってなかったんだろうなぁ、と今となっては推測できる。
結論。余裕は大事だということ。ヒマ万歳!